幻灯劇場「56db」二カ国三都市ツアー 韓国・大邱

物語

あの人の死から一週間。都市を遠く離れた病院の一部屋には、三つのベットが並んでいる。それぞれの上に箱が置かれている。死後一週間放置されたままの遺品だ。その遺品を受けとりに来た息子と恋人と孫。家族が死んだベッドで一夜を明かすことになった遺族達。隣の部屋で死を迎えようとしている心電図のアラームを聞きながら、あの人の最期の瞬間に思いを馳せる。遺服を着ることで、もうあえぬあの人の身体の中へ入り、生きる瞬間を静寂(56db)の中で描く。


『文化庁文化交流事業 東アジア文化都市2017 大韓民国演劇祭in大邱 招致公演

 日時:2017年6月15日,16日 会場:鳳山文化芸術会館ラオンホール

推薦文

"彼の肉体を通して出てくる言葉と言葉の狭間には、無数の言葉が存在している。その言葉の一つ一つが、無謀な言葉を私に与えてくれる。彼は若くして自分の言語を獲得し、演出においても彼の中に彼だけの世界を持っている。舞踊を中心に活動し、言葉を放棄した私の目にはとても刺激的である。彼自身の身体を見ても、他の人には無い、中心を突き上げる強い衝動、意思を感じる。彼の今後の活動が日本、またフランスをはじめ他の国で価値を得ることができると確信をしている。これから今の日本を背負っていく才能と実力がある作家・演出家として、藤井君を応援していきたい。”

 伊藤郁女〔ダンサー・映像作家・画家〕  

"『藤井颯太郎』この名前を覚えておかなくてはならない。 ギョロッとした眼と、長身の体躯すべてから、そんなオーラを発している男である。 そのオーラは、舞台をみつめる一人ひとりにも届く事を確信している。” 松田和彦〔INTERNATIONAL THEATRE INSTITUTE(UNESCO),Direcyor]

”藤井颯太郎と幻灯劇場の力 藤井颯太郎率いる幻灯劇場が,大邱の皆様の前で上演できることを誇らしく思います。私が藤井君と初めて会ったのは彼が15歳の時です。彼は宝塚北高校演劇科の生徒で,私は演劇論の講師でした。記憶に残る当時のエピソードを2つ紹介しましょう。 1つ目。彼らのクラスは,卒業公演の題材として,チェコの劇作家カレル・チャペックの『R.U.R.』を選びました。それで藤井君はこの戯曲を研究し,その解釈を休み時間に披露してくれました。たしか唯物論を取り入れながらも,空想が羽を伸ばしたような解釈でした。彼は,どうだと言わんばかりに目を輝かせ,興奮していました。私は躊躇しました。講師としては,不整合を指摘して落ち着かせるべきだったかもしれませんが,そうしてはいけない不思議な力を感じました。彼は解釈の喜びを知り,信じて飛躍する強大な力を持ったように思えたのでした。 2つ目。1年生の秋頃,授業の課題として,宝塚歌劇に関する展覧会のレポートを提出させたことがありました。その時藤井君は,展示品だけではなく展示の手法や構成にも注目し,それらが観覧者である自分の体験にどう影響を与えていたか分析してみせました。冒頭での客の引きつけ方,中程のサスペンスの作り方,そして最後の種明かしの方法といった具合に,まるで一種のドラマトゥルギイを見ているようでした。彼は,空間全体と時間の流れを冷静に観察し,細部にいたるまで意味を見出す力も持っていたのでした。 ひるがえって,幻灯劇場の作品にも,こうした彼の力は発揮されていると思います。『ファントムペインに血は流れるか』(2016再演)や『DADA』(2017初演)は,現代日本の代表的劇作家・演出家である野田秀樹や唐十郎に通じるものを感じた人も少なくないと思いますが,言葉遊びをふんだんに取り入れた台詞の応酬からイメージの奔流を沸きあがらせ,藤井君独自の空想の世界へと鮮やかに観客を巻き込みました。一方,舞台上で展開される俳優や舞台装置の動きは,ダイナミックでありながら計算されつくされており,時間と空間の芸術である演劇の魅力を,彼ら自身が最大限に,そして真摯に,楽しんでいるようにさえ見受けられました。 これからご覧になる『56db』は,今回の演劇祭のために創られた新作です。日本の京都という狭い地域で活動している彼らの作品が,大邱の皆様にどう受け入れられるか楽しみです。面白く感じていただければ望外の成果,厳しい批判を受ければ次作の糧となるでしょう。実り豊かな交流となることを祈っています。"  正木喜勝[阪急文化財団学芸員,博士(文学)] 


”まるで、沈黙のサーカス" 大邱新聞

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